私の大好きな先輩、広谷順子さんが
1月4日の朝に、天国へと旅立ちました。
年始から、とても哀しくて、寂しくて…
たくさん泣いて、でも浮かぶのは、いつだって広谷さんの笑顔でした。
書くべきか、ずっと悩んでいましたが
皆さんに、どんなに素敵な人だったか知ってほしくて、私は書き残したいと思います。
初めての出会いはスタジオでした。
確か、ハピネットさんの仕事で、私が作詞した曲の仮歌をして下さいました。
どんな方なんだろう…とドキドキしながら、スタジオのコントロールルームで待っていたら
おはよ~🎵っとにこにこと現れ、譜面を受け取り、じゃぁ歌ってみるね~っとすぐに歌唱。
ほんと、一瞬の出来事だったと記憶しています。
これがプロの仕事なんだ…。
その頃の私は、すでに仮歌やコーラスのお仕事をしていたのですが
当時お世話になっていたプロデューサーが、私に見せてくれた、とても貴重な時間でした。
そこから時は流れ
とても運良く、プライベートで仲良くさせて頂けるようになりました。
初めてお食事をさせて頂いた時
以前一度スタジオでお会いしたことがあります!ってお話したら
「大丈夫?私、偉そうじゃなかった?」
なんて笑って下さったな。。。
広谷さんが偉そうにするなんて、想像がつかないです。
お花見や、舞台、ご自宅でのコストコパーティー
ハワイには4回一緒に行かせて頂きました。
昨年は、熱海にも旅行しました。
ご病気のことは、ずっと知っていて
いつも一緒にいさせて頂いている、諸先輩方と相談して
広谷さんと楽しいことをたくさんしよう!っと計画したり。。。
CooRieの曼荼羅ライブにも、旦那さまの木戸さんと一緒に来て下さいました。
最初に来て頂いた時は、ほんと緊張したなぁ~
終わったあと
「可愛かった~音楽って楽しいよね。見てたらライブやりたくなっちゃった。」
なんて言って下さいました。
この時には、もう耳のご病気で歌えなくなっていたのに。。。
広谷さんから、愚痴とか、人の悪口とか
なんて言うか…マイナスな感じを受けたことが、私は一度もありませんでした。
「○○ちゃん(私の本名)、やりたい事はぜんぶやった方が良い。できるのよ」
「音楽は、それぞれよ」
広谷さんがおっしゃった言葉を、私はここ数年、迷った時に思い出すようになっていました。
もう直接は聞けないけど、私はこの先もずっと、この二つの言葉を忘れることは無いです。
10日のお通夜、11日の告別式
とても光栄なことに、私は受付のお手伝いをさせて頂きました。
(本当はマリフォの予定が入っていたのですが、スケジュールを移動してもらいました。みゆきちゃん、あきちゃん、ヨズ、ありがとね。)
それはそれは凄いメンバー(音楽業界の方)が集まり
広谷さんのファンという方にもお会いできたというか、その熱い想いに少しですが触れることができて
私が言うのも大変恐縮ですが、とても嬉しかったです。
私個人としても、長くお会いできていなかった方達(メーカーディレクター)に
広谷さんが会わせてくれました。
昨日…自宅にて、式で頂いた返礼品の中にあった、木戸さんからの手紙を読んでいたら、再び涙が止まらなくなりました。
あぁ….ここには愛しかない…と。
広谷さんは、ずっといます。
形は無くなっても、私はそんな気がしてしょうがないのです。
とにかく優しくて、そしてとても強い人
これからもずっと、私は広谷順子さんが大好きです。
そして、広谷さんが大好きだった音楽を、私はこの先できる限り、歌い、作り、しっかり届けたいと思います。
長文、最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
りの